情報処理機構としての脳とフォンノイマン鎖
以前の記事:
kafukanoochan.hatenablog.com
での 再帰的な測定器よる「ある物理量の測定」で定式化
した帰結: 物理的に「どれか1つの状態」になる
は、「フォンノイマン鎖を否定することになる」
とのご指摘を頂きました。
>そのような測定を実行した観測者にとってはその通りですよね。
>でも、他の観測者にとっては、その測定対象と
>最初の観測者の合成系は量子的な重ね合わせのままなのです
>ヒトの思考を読む技術も、その人物を測定していることになるので
量子力学の話の範疇にしかならないとおもいます。
フォンノイマン鎖を否定できるような新しいことではありません
ということで、上記の記事は間違いです。
(これから直しますが、そう難しくないと思います)
以下に検討結果を記します。
フォンノイマン鎖 とは、「状態が重ね合わせである観測者の鎖」であり 測定対象をs、測定器をd、観測者の意識を A, B, C、、、とすると
(((s→d→A)→B)→C)→ 、、、
で、Aが「測定結果を分かった=状態が収縮した」としても、
脳といえど物理的には、状態がユニタリ発展する「原子の集まり」
なので、
Bから「Aまでの合成系」を観測しても、重ね合わせ状態であり
Bが観測してやっとBは、
「測定結果を分かった=状態が収縮した」
と言える。(C、D、、、についても同様)
ということです。
ここで、
公理0「状態がユニタリ発展する原子からなる機械であっても
非ユニタリ変換を含む情報処理ができ、ヒトの脳もそうである」
普通のコンピュータであっても、非ユニタリ変換を含む処理が可能
という経験的事実から、こう定めると、
フォンノイマン鎖 での、
「状態の収縮」が、測定対象との合成系を観測した時起きるのは
「脳の神経細胞の状態」は、重ね合わせだが、
観測者の「意識」が、非ユニタリ変換を含む情報処理をして
情報としては、「どれか1つの状態になる」からと言えます。
つまり、Aが「測定結果を分かった=状態が収縮した」時、
Bが、Aの「脳の神経細胞の状態」を単に測定しただけでは
ダメで、それを非ユニタリ変換を含む情報処理して
やっと、情報として測定結果を示すと思います。
(Bは、この時点で状態が収縮する)
まとめると、
私の論の帰結: 物理的に「どれか1つの状態」になる
ではダメで、
「脳の神経細胞の状態」は、重ね合わせ。しかし、
情報的には、「どれか1つの状態」になる
でないといけないです。
尚、情報処理による「状態の収縮」は、ウォルボーンの実験
でも見られます。