墓所の虫

.    「新版 量子論の基礎」と「量子情報と時空の物理」をベースに書いていますが、間違いをよくやります。まず眉にツバをつけてw

ブログの紹介 (主な記事、Webサービス)

大学教育は危機に瀕しています! 


私は言葉の使い方が下手なので、おかしいと思う文章は式に合わせてお読み下さい。
尚、新理論や独自理論を唱えるつもりはありませんが、アイデアの提案はしています。


情報の定義と観測者にとっての「情報の意味」の定式化

情報量の定義は、明確に書けます。以下の確率pと情報量Iの関係です。
(ここでいう情報量は、情報エントロピーのことでは、ありません)

情報の定義は、ここでは、
測定して「分からなかったことが、分かる」
  =観測者の持つ系の知識が増える
  =系の「情報」を得た
という関係として「情報」を定義します。

確率pと情報量Iの関係
   情報量の定義は、驚きの大きさ=滅多に起こらない率=1/p
   とすると、
   I=Log(1/p)=- Log p
   です。(単位は bit)
   これは、サイコロでも写真でも成り立ちます。
   (アナログ)写真の場合、単純には濃度は光子の数∝存在確率
   に比例する。
   写真の圧縮された画像では、単調な箇所は「驚き」が小さい。
   また、古典論でも量子論でも同じ(と思います)

測定で得る情報量I
   清水先生の文献:https://as2.c.u-tokyo.ac.jp/archive/handai2009.pdf 
   のp27  I≡ log2 [その測定により区別できるようになる状態の数]
   量子系でも古典系でも(系の知識が増えない場合でも)同じ
   というのが重要です。

測定と情報の関係
   量子力学での測定には、狭い意味の測定(物理量演算子の測定)
   と、広い意味の測定(統計的量の測定)があります。
    量子論の「測定」の定義。狭い意味と広い意味 - 墓所の虫
   両者共、測定して「分からなかったことが、分かる」なら、
    =観測者の持つ系の知識が増える
    =系の情報を得た
   と言えます。

   古典論での測定は、(測定してもしなくても同じ)確認にすぎない
   =観測者の持つ系の知識は増えない
   と言われますが、それは対象系が「観測者にとって既知」の場合です。
   「ラプラスの悪魔」が成り立つなら、
   初期状態が定まっていれば「系は観測者にとって既知」と言えます。

   対象系が 観測者にとって未知の場合、初期状態も未知ですから、
   「ラプラスの悪魔」は成り立たず、
   測定して「分からなかったことが、分かる」ので
    =観測者の持つ系の知識が増える
    =系の情報を得た
   と言えます。
   つまり、古典系でも未知の系に対する「最初の測定」は立派な測定
   ということです。
   そうして初期状態を知れば、対象系は既知となり(ラプラスの悪魔)
   それ以降の測定では「観測者の持つ系の知識は変わらない」です。

   系の知識が増えないからと言っても「何もしない」とは異なります。
   例えば、惑星の位置の測定を写真でした場合を考えると、
   「見慣れた天体写真」にすぎない=観測者にとっての情報の意味=0
   の時でも、「見慣れたかどうかの判断」は、写真の情報が
   観測者の脳に入ることが必要です。
   したがって、「観測者は系の情報を得た」とは言えます。

「情報の意味」の導入(ここから独自理論) 
   観測者にとって既知の系では、観測者は系の情報を得たのに
   「系の知識が増えない」のは、矛盾とも言えます。
   これは、情報の意味=0なので「意識が、得た情報を捨てる」
   と解釈すれば、良い思います。
   式で表すと、
   測定しても「すでに分かっている」ならば、情報の意味=0であり、
   得た系の情報量=log2 [その測定により区別できるようになる状態の数]
   なので、

   観測者の持つ系の知識の増加=「得た系の情報量」x「情報の意味」

   で良さそうです(情報の意味の値は、意識による情報処理の結果)
   具体的には、
   測定により「知らなかったことが、分かる」なら、情報の意味=1
   「半分くらい分かっている」なら、情報の意味=0.5 
   「測定値を見誤った(嘘の値)」なら、情報の意味=0
   等とすれば、この式で話が合います。